『回路』と同じ製作年なんですね。


!! “タイムスリップ(ワープ)映画”強化月間


◎『ターン』監督:平山秀幸(2000年・日本)


 演出に乗り切れなかった。『愛を乞うひと』は大好きなのだが、『学校の怪談』シリーズ、『OUT』、『魔界転生』といったあたりも楽しめなかったので、この監督とは相性が悪いのかも(『レディ・ジョーカー』は未見)。そもそも、循環ループ構造を映画に持ち込むのは分が悪いのかとも思う。何度もリセットがかかることに対し、工夫がないと停滞感が出てしまう。『チャイニーズ・オデッセイ』のように、局所的にループになるものにはうまく行っているものもあると思うのだが(『恋はデ・ジャブ』は割と面白かったような記憶もあるが、観たのがかなり前で定かでない)。


 演出面では、特に最初の「繰り返し」のところ、同じ日常をあえてアングルを変えたカット割りで撮っていくところで、気持ちが醒めた。本来不在であるはずのカメラ(の背後にある作為)を、必要以上に意識させてしまっているのだ。無人の光景が、効果的でなくなっているような気がした。また、全体の映像プランニングとして、最後の「覚醒」に近付くところで世界が生気を帯び始める展開なのだが、果たして正解か。黄泉の国に魅力があってはいけない、ということかもしれないが、にしてもそこに至るまでが沈鬱に過ぎないか。劇場で観ていれば、印象が違った可能性もあるが。


 植物園からレストランに、時空を超えて「デート」するくだりも、よい設定なのに描かれ方がいまひとつだった。私が脳内でつくり出したのは、こんなイメージ。


 “見えない相手を前に、初めのうちは、ぎくしゃくとしたやり取り。だが、やがて二人が、本当に語らっているように見えてくる(カットバック)。奏でられ始めたピアノの旋律に合わせ、演者を後景に洋平を前景に置いてトラックバック。洋平の前の席には…やはり誰も居ない。無心に演奏するピアニストが、“二人”の方向にふと目をやる。と、広いレストランの片隅に、ぽつんと座っている真希。ピアニストはまったく動じず、鍵盤に視線を落とす。再び見やったときには、客が居並ぶ現実の光景に戻っている。そして、降り出した雪に気付き、窓辺に立つ洋平。憑かれたように、やはり窓辺に立つ(夏の日の)真希。カメラがスライド。真希の後姿がフレームアウトすると一瞬、窓ガラスに二人が並んで映っている──”


 柿崎にも一言。たまたま出会うのではなく、同じ事故の中に居た、としてしまってよかったのではないか。サスペンス要素としては効いているのだが、何故よりによって彼に出会うのかが引っかかってしまう。また、単純な悪役(駒)で終わらせてしまわずに、極悪人だが彼もまた哀れな人間である、といったふうにしないと、なにしろ登場人物が少ないので膨らみに欠ける。真希と同じ事故、ゆえに収容された病院も同じとした上で、柿崎の家族をも描く。どの道つくり事なのだし、許容可能な展開かと思う。洋平が、(現実の)柿崎を手にかけるのでは…というサスペンスに持っていく手もありそうだし。


 ま、勝手なもんですね。失礼しました。


 ラストを含め、倍賞美津子が出ている個所はよかった。

(2005/10/16, DVDレンタル)