ストーリーの“エンコード”とドラマの“解像度”

 “ニュートランスレーション=新訳”(劇場用三部作)の第一弾として『機動戦士Zガンダム 星を継ぐ者』を仕上げた富野由悠季・総監督に対するインタビュー。『キネマ旬報』2005年6月上旬特別号からです。
 “TVの長尺でも見えづらい物語”。そこに複合的に絡み合う要素を、改めて“100分以内にまとめるためには、どのような工夫があったのか”──を「映画演出」論という観点で聞き出した興味深い内容です(取材・文は氷川竜介さん)。
 20年前のフィルムを再構成するに際し、富野監督はまず大前提として、「映画は一般大衆向けの娯楽であるべきだ」「自分のメッセージを伝えようとか、ロボットアニメでもこんなに上等に作れるとか、そういうところには視点を置かないように気をつけました」といった姿勢で臨んだ、とのこと。そして──

 映画は最低これぐらいの量の事件と人間関係を投入できると気づいていただけるだけで充分です。映画は気分だけでは構成できなくて、ロジカルに四方八方から詰めていくものです。物語は伝わっているか、人物は紹介できているか、関係はわかるようになっているか、その上でアクションシーンはきちんと見せられているか。そして見終わった後に“おもしろい”と思ってもらえる……そういうことをロジカルに詰めていったから、ここまでできたということがおわかりいただけると思います。(P.67)

 付け加えれば、このインタビュー、同じ氷川竜介さんが手がけた福井晴敏樋口真嗣ローレライ、浮上』(ISBN:4062127504)に呼応するものだと言っていいでしょう。一本の映画に詰め込む(詰め合わせる)ことのできる“情報量”を、どう見積もるか。といった、現代における作劇上のテーマが、そこにはあると思います。

福井 二〇〇一年から二〇〇二年は、原作と並行して映画化のためのシナリオ作業もしていたわけだけど、そのときに指摘されて初めて、俺のドラマの積み重ね方とかディテールの描き方について「なるほど」と思ったことがあるんです。
 つまり、「テレビシリーズの総集編が好きなんだろう」と言われて、わが身を振り返ると確かに俺のやり方はいわゆる「普通の映画」じゃなくて、テレビのやり方なんですよ。なのにスクリーンサイズだけはシネスコになっているという……。このころはまだその自覚がなかったんで、例えば『ガンダム』だってあれだけのエピソードを詰め込んでいるんだから、このプロットの量ぐらいは入るだろうと……。
樋口 いやいや、その認識はまだ違いますよ。福井さんの頭の中の『ガンダム』って、「全部で二時間」の映画になってるんですよ。テレビシリーズ全四十三本を二時間半ぐらいの映画三本にまとめたのが、本当の劇場版の『ガンダム』なんだけど、その三本をさらに再圧縮した二時間で一本の映画になってる(笑)。(P.079-080)

ローレライ、浮上

ローレライ、浮上


 大状況の中におけるキャラクターの描き方など“アニメ世代”の小説家ならではの発見と、同世代の映像作家の見識が、この前後に連なる二人の応酬には示されてます。ただ、おそらく『ローレライ』においては、この命題に対する完全回答が示されるまでには至っていないんじゃないかと思います。
 もう一つ。現れた結果は(富野アニメとは)かなり異なるものと言えますが、TVドラマ(アニメ)が、映画で描かれる細部(と物語全体のバランス)の在り方に影響を落としているということは、『千と千尋の神隠し』や『ハウルの動く城』に対し、鈴木敏夫プロデューサーが指摘している点でもあったりします。『宮崎駿の世界―クリエイターズファイル』(ISBN:4812419433)<ハウルの動く城─天才の創り方─ 鈴木敏夫×石井克人>からです。

鈴木 (前略)一言で言えば、細部まで描けたわけですよ。彼の場合は『アルプスの少女ハイジ』だとか『母をたずねて三千里』『赤毛のアン』、そして『未来少年コナン』をやった。普通の映画だったら描かないようなところを描くということを、TVで学んじゃったんですよね。だから、映画を作る時にも。そいうところが入ってくるんだけど、そこまでは深入りできない。そういうところが宮さんの一つの味にはなっていますよね。
 これは僕の意見なんですけれども、やっぱり映画も、TV空間が充実してから変わりましたよね。映画がTVから影響を受けたのは、そういうところじゃないかと思う。だけどここまで来るとね。どこに行っちゃうのかなって。もう皆こうやって作るしかないんですかね。(P.015)

 現在の視点からすれば、TVの連続ドラマに慣らされた観客の“劇的情報期待値(ドラマ情報量)”を、映画の中で満たすことの難しさは、自明のように思われます。ただ、10年程前に遡ると、それを皆が発見していたわけではなかった。ここで、話は富野監督に戻ります。『すべての映画はアニメになる[押井守発言集]』(ISBN:4198618283)に再録された押井守監督との対談から。初出は1993年の『アニメージュ』です。

押井 ドラマはドラマで好きなんですよ。好きなんだけれども、ドラマということを目指すのであれば、僕は映画という形式よりはTVシリーズのほうがいいような気がする。
富野 いいカンしてますね! 僕は今回の『Vガンダム』で初めてそれが分かったのだもの。本当の意味のドラマをやろうとすると映画の2時間なんていう時間では短編しか、かすめるくらいにしかできないのに比べ、TVの週1回ペースというのは腹がたつ実状だけれども、実はあの時間がいるんですよね。(P.239-240)

 こうした認識と、押井監督がつくる映画の在り方との関係は、素直に理解できるものです。では、富野監督が切り開いてきた道とは何なのか。といった関心から、『機動戦士Zガンダム 星を継ぐ者』を観に行きたいと私は思ってるわけです。