時間と空間が無化する中心点(グラウンド・ゼロ)

(『ローレライ』についてのメモ)


時計と青空
 誰の上にも平等に在るもの。それは死と空──。
 そのようなことを意識してきた私が、『ローレライ』を観ていて気付いたのは、なんだ、それって「時間(の界面)」と「空間(の界面)」を言い替えたものじゃないかということだ(その向こうには、それぞれ内宇宙と外宇宙というフロンティアが待っている)。
 映画では序盤、時計と青空を二重写しにした象徴的なカットが登場する(中盤でまた登場)。以後、「時間と空間」(=映画)という主題を、非常に丁寧に織り込んでいる、という印象を私は持った(最近、そのように観ることができた映画が『ハウルの動く城』だった。そういえば、どちらも“魔女”がキーコンセプトではないか)。それが行き過ぎになる一歩手前、よい頃合いのバランスで定着させられている、という感想も抱いた。
 この点については、時間があればもう少し掘り下げて考えてみたいのだが。