或イハ所在無キ「おたく第一世代」ノ妄言


 私は、いわゆる「オタク第一世代」に属している。ただし、オタクを自称する気はない。“嫌オタク”なのではない。リスペクトされるオタクには憧れがあるのだが、なにしろ極めた分野を持っていないのだ。幾らかの適格性はあるのだろう。とは思っている。だから、“非オタク”と言い張るつもりもない。
 これまで、自分は「飽きっぽい」から、オタクにはならなかったのだ、と信じ込んでいた。しかし、今になってふと思い立った。オタクになれなかったコンプレックスが、いつしか、自分は「飽きっぽい」(新しもの好きの)性格だと思い込ませる(言い訳させる)ように仕向けていったのではないか、と。
 「十分オタクだよ」と言われそうな、あれやこれやを所有してはいる。でも、全然。駄目です、オタクじゃないです。逃走癖があるのかも。スキゾ・キッズ。そう。「新人類世代」でもある(これ、より居心地の悪い言葉ですが)。まあ、仮にオタクであっても、「オタク」と人から呼ばれるのは…嫌です!


 といったわけで、『嫌オタク流』の語り手たち(中原昌也:1970年生、高橋ヨシキ:1969年生、海猫沢めろん:1975年生、更科修一郎:1975年生)のバランス感覚と“常識”の持ち方には、共感(と安心感)を持つことができた。しかし、それは拡散した(希薄化した)「オタク」層の中ではどうやら通用しない、ことになってしまっているらしい…。
 まあ、あまり真に受けちゃいけない、ところもあるわけだが(中原昌也*1のイラストによるカバーからして、人を食っているので)。こうした「相対化」を好むのは、私が第一世代(旧い世代)だからなのか? 試験(『全国統一オタク検定試験』)には出ないと思うけれど、オタクビジネスに浮き足立っている方々、嫌オタク流は「必修」科目ですよ。


嫌オタク流

嫌オタク流

*1:この人の偽悪的な発言をどう受け止めるかだが、ところどころにある文脈から切れた「ボケ」っぷりなどから推察するに、議論が真面目な展開になるのを嫌って校正で加筆したものも多いのではないか。しかも、オタクには「ジョークが通じない」と予防線を張っているので、ここに突っ込むのは損だと思う。