“「騙し」と承知しつつ「これが地面だ」と思わせるような表現を、まずは重ねていくしかない”


◎『サブカル「真」論」』編:宮台真司,発行:ウェイツ

 「社会の矛盾や抑圧が解除されて幸せになり、矛盾や抑圧の生々しい記憶を持つ人が少なくなると、皮肉なことに『いいお話』をつくれる人がいなくなり、それこそ記号的な『萌え』要素の集積と戯れるような連中ばかりになります。それをどう評価しますか」
 (中略)「究極の選択です。みんながそこそこ幸せになった結果、サブカルチャーのクオリティが低くなった社会。みんながそこそこ不幸だけど、それゆえにサブカルチャーのクオリティが高い社会。どちらがいいですか」(P.069-070)


 編者(宮台真司さん)は、韓国映画の監督にインタビューするたびに、このような質問を投げかけているという。90年代初めに「分類の時代」が終わって、「島宇宙化」に移行した。その状況下で“サブカルに何故こだわるのか”のモチベーションの所在、そして“サブカルに何が出来るのか”が、三回の公開シンポジウムで語られる。本書は、その記録。現在の個人的な関心に、かなりミートする内容だった。少しだけメモる。

 サブカルにはいろいろな機能があるし、いろいろな利用の方法がありますが、僕が個人的にサブカルに託したい思いは、持続的な時間意識すなわち歴史意識の受け渡しです。どこかで断絶があったということも含めて持続的な時間意識がない限り、サブカルチャーはシステムが与えるおしゃぶりの域を出ないでしょう。(P.290)

 だから僕は、この「われわれ」の風化を食い止めたい。国家ならざる社会を復権したい。そういう僕にとってのサブカルは、「社会」を復権するための営為なんです。「社会」を復権するためにサブカルを利用するというのとは、少し違います。サブカルの営み自体が、コンテクスチュアリティの記憶の伝承であり、「われわれ」の述べ伝えなんです。(P.309)


 内容としては、第一章でマンガ原作者のイ・ヒョンソクさんが語る韓国のカルチャー産業事情、徴兵制の話が非常に興味深い。そして、第三章のテーマが「映画」。ただ、ドキュメンタリーおよび政治思想そのものを語ることに時間が割かれてしまい、それはそれで面白いのだが、「政治的な映画」についてより具体的・多元的に取り上げてほしかった(松田政男さんの発言をもっと聞きたい)。より深く理解するには、廣松渉フランクフルト学派──といったあたりを追っておかないとならないようだ。


 ちなみに、『週刊本28 卒業 KYON2に向かって』(野々村文宏中森明夫田口賢司, 朝日出版社, 1985年)には、私もインパクトを受けた。ただ、真正面からではなかったかも。


サブカル「真」論 (That’s Japan Special 連続シンポジウムの記録)

サブカル「真」論 (That’s Japan Special 連続シンポジウムの記録)