“あくまで未来に対する業をみずから引き受けるという一点において、彼らは彼らなりの倫理を貫く”(塩田明彦)
実写版『どろろ』のニュース。見落としていました。
◎手塚漫画「どろろ」が妻夫木&コウ主演で実写映画化!
SANSPO.COM−芸能, 2005/11/17
◎手塚漫画「どろろ」妻夫木&柴咲で実写映画化 日本発「ロード・オブ・ザ・リング」
Yahoo!ニュース - スポーツ報知, 2005/11/17
◎手塚治虫氏の傑作コミック「どろろ」が、妻夫木聡さん、柴咲コウさん主演で実写映画化!
東宝 映画トピックス, 2005/11/18
原作のファンを混乱に陥れているようだ。レイティングを厳しく設定できるプロジェクト規模ではないし、確かに原作とは別物になるおそれがある。でも、なんらかの核心(手塚治虫の精神)が受け継がれる可能性はある。私は期待したいと思っています*1。
その監督作品歴から意外な人選と感じているひとが多いのかもしれません。ただ、『カナリア』公式サイトを訪れれば、かなり腑に落ちるはずです。あるいは、これ(サイト内の記述)は予告状のようなものだったのかもしれませんが。
まず、最も議論を呼んでいる柴崎コウのキャスティング(どろろ役)ですが。製作サイドの意向によって原作の重要な設定を改変する結果になったのでしょうが、それでも塩田作品にはこのひとが、きっと必要なのだと思います。
『カナリア』公式サイトの“監督の部屋 03 「my inspirations」第4回 塩田明彦 by COMPOSITE 『カナリア』構想時、多くの着想や勇気を得た作品やモノたちについて”(COMPOSITE vol.3 April 2005号から)に、このようなアイテムが挙がっています。
06. 敬愛する伊藤俊也監督による『女囚さそり』全3作。
梶芽衣子扮するひとりの女が復讐の女神と化して刑務所を生き延び、裏切り裏切られながら脱走し、地獄の娑婆をも生き抜いていく。
塩田監督は、「さそり」(松島ナミ)を現代に再来させることの可能性を柴崎コウに託しているに違いありません。柴崎コウが梶芽衣子に似ていると認知されていること自体は、むしろ困難を招く要因だと思います。だからこそ逆に、演出家として挑戦しがいのあるテーマだと考えているのではないでしょうか。
同じ場所に、こんなアイテムも挙がっています。
05. 敬愛するブリジット・リン主演作の米国版DVD
特に『スウォーズマン/女神復活の章』は何度見直しても絶大なる興奮と刺激を私に与えてくれる。
この趣味嗜好を知らなければ、実写版『どろろ』にチン・シウトン(程小東)が招かれていることに対し、私も意外な組み合わせだと感じたはずです。でも、まさに『スウォーズマン』シリーズの監督が、このひとなのですよね。ただ、チャン・イーモウ監督とのコンビ作(『HERO』『LOVERS』のアクション監督)にはあまり魅力を感じなかった。不安がないわけではない。
得意のワイヤーワークと手塚作品の相性ってどうなんだろうという気もするので、様式化に陥らずに新機軸を出してほしいところではあります。
塩田監督に、より親近感を覚えることになったブリジット・リン(林青霞)についても少々(私はたぶん『スウォーズマン』は観逃しているが)。最もメジャーなのは、『恋する惑星』(1994)なのかもしれませんが
- 『蜀山奇傅・天空の剣』(1984) 監督:ツイ・ハーク 共演:ユン・ピョウ、サモ・ハン・キンポー
- 『ポリス・ストーリー/香港国際警察』(1985) 監督・共演:ジャッキー・チェン
- 『夢中人(ゆめなかびと)』(1986) 監督:トニー・オウ 共演:チョウ・ユンファ
- 『北京オペラブルース』(1986) 監督:ツイ・ハーク 共演:サリー・イップ、チェリー・チャン(!!)
- 『ドラゴン・イン』(1992) 監督:レイモンド・リー 共演:マギー・チャン、ドニー・イェン
- 『白髪魔女伝』(1993) 監督:ロニー・ユー 共演:レスリー・チャン、フランシス・ン
など香港映画ファンを通過した者としては、忘れがたいひとりです。
さて。
『カナリア』公式サイト“監督の部屋 04 フィクションの力とは何か 日本映画における50年代、70年代、90年代の試み”(映画美学校「映画表現論」講義記録から)の“第2部 『女囚さそり』をめぐって”にも触れておきます*2。
イデオロギーとルサンチマンをほどよくナルシシズムで包んだ挙げ句、要は自己保身的な権力志向の俗人でしかないような人間にはならず、それとは別の道を行くには、どのような道を模索すべきか。そういう作者たちの真摯な問いかけが、ひとりのヒロインに託された。人は彼女をさそりと呼ぶ。
(中略)
さそりが文字通り日本という国家の底(それは女囚刑務所だった)に落ちていき、そこで地獄のありようをみつめる。それはまた大衆の無意識の底に降りていこうとする知識人の視線であり、その無意識を掴もうとする意志がなにか名付けえぬ、不気味なモノの感触に出会うのではないか。
(中略)
いずれにしろこういう形式、僕はそれを勝手に「地獄旅」と名付けていますが、これはそもそもは劇画の世界の達成が映画に影響を与えたということらしい。『修羅雪姫』とかそうですし、『子連れ狼』とかもそうですよね。憎き柳生一族の罠にはめられ、愛息・大五郎を除いて一族皆殺しにされた拝一刀は、みずから「冥府魔道の道をゆく」と決意する。みずから覚悟して悪の道を選び、それによって生じる「業」を引き受ける。ひたすら死に向かって生きる。
(中略)
さそりの戦いはそもそも個的な戦いだったんだけど、それがいつしか個人を超えた戦いになっていく。物語はあくまでさそりと、さそりを葬ろうとする人間との戦いなんだけど、結果において、さそりの悲しみが世界の悲しみでありえるかどうか。さそりの憎しみが世界の憎しみたりえるかどうかが問われていく。すべての虐げられし者たちにとっての原像としてのさそり‥‥。
『どろろ』におそらく連なるだろう塩田監督の世界観や、“冥府めぐり”(地獄旅)に対するまなざしを、ここに伺い知ることができます。
ロケ地がニュージーランドであることから、『ロード・オブ・ザ・リング』*3が引き合いに出されていますが、この“ロード”(ジャーニー)というキーワードにふさわしい“現代の地獄旅”を描いてくれるに違いない。そう期待します。公開は2007年。塩田監督には闘ってほしい(諸困難を相手に)。